日本三大火祭のひとつで、毎年7月の最終土曜日に行われます。今年は7月25日です。
以前は7月31日と開催日が決まっていましたが人手不足や準備、祭当日、片づけと平日に3日間も仕事を
休む事が難しくなり現在の様に土曜日となりました。
お祭り当日は伊夜比咩神社での祭礼後、神輿が崎山広場まで400メートル渡御します。
鉦、太鼓、笛に合わせて大小7基の奉燈(キリコ)もうねりながら進みます。
崎山広場には高さ30メートルの柱松明が立てられていて、その周りを7回巡った後、海砂の団子に榊をさしたて
たお旅所の台座に神輿が安置され祭典が斎行。神輿の中の灯からもらった火を置き松明に点け、そこから手松明
へと点火されます。若者子供達は手松明を振り回しながら柱松明の周囲を駆け巡り合図の笛とともに柱松明に投
げ込みます。
一気に燃え、巨大な火柱となり、火の子が漆黒の夜空に舞い上がります。結わえていた綱が切れた柱松明はドンと凄まじい音を立てて倒れてしまいます。
倒れた方向が海側か山側かでその年が豊魚か豊作かを占います。
現在では手松明を持つのは観光客の方や女性も参加する事が出来、一緒に楽しめます。70年程前は女性が崎山広場にも行くことは禁止されていたそうです。
この一夜の火祭の為に向田町民は1軒につき柴を7束出さなければなりません。7月に入ると名前の書かれた札が配られ崎山広場へ出した柴に付けます。
係りがその札をチェックし一覧表の名前を消して行きます。柴を出すのが遅いといつまでも名前が消えず恥ずかしいのです。
高齢化が進んだ現在では柴出しを親戚に頼んでいる家もあります。15年程前は藁を5束出す事も決まりでした。藁がない家は500円でした。
稲刈り作業もコンバインへと変わり藁が出なくなったので藁集めは無くなりました。
7月第1日曜日は「綱練り」作業です。柱松明を縛る綱は4人1組で練り、柱松明を支えるサシドラと呼ばれる木を縛る綱は3人1組で練ります。
綱練りがし易い様に藁を柔らかくする藁叩きの作業もあります。1日係りで仕上げます。
火祭前日には「松明お越し」の作業があります。大木(おおぎ)に柴を綱で縛り付け柱松明を作り、先端には御幣を付けた竹を括り付けます。
現在ではクレーン車を使用するので30メートルの高さの柱松明も昼過ぎには立てる事ができます。40年程前までは4人1組でろくろを回して柱松明を起こして立てていました。
機械を使用する、祭の開催日が変わる、女性が参加する、祭を継続するための変化です。次の代にも続けて行く火祭です。
この火祭には子供たちも重要な役割があるのですが、またの機会にお話ししたいと思います。